おとなりさん
後のない留年大学生という社会の底辺野郎な自分だが、更に自分を最底辺知らしめる理由がアルバイトを辞めたという点だ。
辞めた理由は、今まで落単してきた原因が出席日数が不足しているから。職種は1〜2年で転々としていたが、これまでバイトをしていないただの学生だったのは新入生の始めの半月と、あるアルバイト先を辞めた後1ヶ月間程度だった。
そもそも留年をした理由は自分の努力不足だと自覚している。
大学の同期といまいち親密になれず代返やら配布物の回収やらを頼めなかったことも、アルバイトを理由に寝坊し続けたことも、最終的には全部自分が頑張らなかったからだ。
だから、アルバイトは辞め、趣味のゲームはハードを実家に送りつけ出来ないようにして、「単位を取るために不要なもの」をやめた。
それらが無くなってやることがなくなり、サークルにも所属せず就活も精力的に活動していなかった自分は、基本借りたアパートの自室に籠るようになった。
今日のタイトル回収はここからだ。
今までのはそこそこ長い前置きだ。
今住んでいるこのアパートは、所謂学生物件というもので、通う大学も近く、他の部屋に住んでいるのも同じ大学生だ。
同じ大学生だと決め付けられるのは、ここは駅やバス停にはだいぶ遠いが、自分の通う大学にはかなり近い物件であり、また不動産屋もこの物件を「○○大生おすすめ物件」と銘打ち貸し出しているからである。あと、夕方になると男女が賑やかに笑いながらアパートの階段を昇り降りする音が聴こえてくることも勝手に決め付けている理由のひとつだ。
ここに住んでいる学生達と鉢合わせたことは実は2度ほどしかなく、それも隣の隣の隣の部屋の住人としか鉢合わせたことはなかった。正直顔は覚えていないが地味な男性だったと思う。
前述の通り、自分はアルバイトをしていない。また、サークルにも所属しておらず、外出する必要に迫られるのは数少ない取り零した授業のみ。
つまり日中はほとんどアパートで一日を過ごしている。
こうなると「おとなりさん」の生活音が嫌でも耳につく。
それに自分は生活リズムが狂っている。22時過ぎに布団に潜っても、目が冴えて結局眠りにつけるのは朝の5時頃になってしまい、起床する頃には午前が終わってしまう。
(この生活リズムが狂っているのも実は「おとなりさん」の所為も多少あるのだが、これは後述していく)
自分は「おとなりさん」の顔を見たことがない。
おそらく自分の顔も見せたことはない。
しかし、多分男性だろうという見当を付けている。
何故なら、時折「おとなりさん」の部屋に訪れる学生仲間が男性数名であり、女性の一人暮らしにワラワラと男性が何人も訪ねてくるのは無いだろうと推測できるからだ。
この後「おとなりさん」のことは「彼」と表記をする。
彼はピアノを弾く。おそらく電子ピアノである。
自分は幼少期ピアノやらの楽器経験を少しかじったが、彼が練習している曲が何なのかは分からない。
彼はピアノを弾くだけでなく、歌を歌う。
正確には、歌いながらピアノを弾いている。
これが、
非常にやかましい。
本当にうるさい。
こちらが布団に入る時間にピアノを鳴らし始め、発声練習を始め、ノリに乗ってくると、ピアノのペダルをドンドンと踏み込んでいるのかそれとも素人ばりに足でリズムを取っているのか知らないが床を鳴らし、こちらの入眠を阻害してくる。
あほか?
あほなのか?
彼がサークルの練習をしているのか、大学の授業課題のため練習しているのか、完全なる趣味で練習をしているのかは知らない。
だが、そもそもピアノや歌の練習を、騒音の気になる夜間や早朝の静かな時間に行うあほがいるのか?
ああ、隣にいるのか。いるけれども。
他にいるか?
初めて彼の歌声を聴いた翌日、不動産屋の管理会社に電話を掛けた。
「このアパートは楽器不可か」
「そうですね」
「おそらく隣の部屋の住人がピアノを弾き、そして歌い、それが深夜で騒音がひどい。改善のために対策を取ってくれないか」
「分かりました。楽器不可の旨と、深夜の騒音注意の注意文書を全部屋のポストに投函します。また騒音があれば連絡をください」
勝った。
そう思った。
即日ポストに注意文書が投げ込まれ(問い合わせ本人の自分の部屋にも勿論投函されていた)、楽器はダメです、深夜から早朝の静かな時間帯には生活音に特に注意してください、との記述。
これは勝ちましたわ。
自分はここで油断した。
その日の夜は快眠だった。
三日後、その音は聴こえてきた。
ホワーッ…と奇妙な発声練習。
足で床を鳴らす規則的な音。
その時ピアノの音は聴こえなかった。
ピアノ、ヘッドホンとかで音消せるやんけ!!!!!!!!!!
今までもそれしとけや!!!!!!!!!
と思ったが、ピアノの音色は聴こえずとも、何故か鍵盤を叩くカタカタカタという軽い音が聴こえるようになった。
彼は反省していなかった。
ピアノの音だけ消せばええんやろ?とでも言いたげに、彼の変な歌声はホワァー…ッとこちらの部屋に響いていた。
<続>